こんにちは。僕は、生後8ヶ月の赤ちゃんを持つ新米パパです。新米だけに気づいた、育児の苦労や幸福を書いていきたいと思います。

今回は、DNAとかルーツとかについて。

こどもの寝顔を眺めていたら…


「こどもは、はんぶんこで出来ている」

昨日、こどもの寝顔を見ながらそんなことを考えていた。

「はんぶんこ」とは、自分と愛する人とのはんぶんこ。つまりは僕と妻の「はんぶんこ」。DNAの仕組みは、よくわからないけど、夫婦2人のDNAの「はんぶんこ」ずつ受け継いでいるのは間違いない。

当然ながら僕にも妻にも似ている(似てなかったら大事件)。目はママ。鼻はパパ。口は両方?そんなことを考えながらこどもの顔を見ていると、何時間経っても飽きがこない。

「はんぶんこ」をつくっているのは、気の遠くなるような血のつながり

でも、はんぶんこって言っても、その「はんぶん」をつくっているのは、気が遠くなるような、長い長い血の歴史。恥ずかしがらずに言えば、数えきれない愛の歴史。

シンプルに見れば、子どもは「僕の一族」と「妻の一族」の掛け合わせなのだけど、僕にも父と母がいて、さらに父と母は、元々は違う一族だったわけだ。そうやってどんどんと辿っていくと、そのルーツの地図は、東京ドームが何個あっても収まりきらないぐらい広がっていくはずだ。

親子リレーは続いていく

何百、何千を超える血と愛の繋がりによって、子どもは、今、この世に生まれてきた。先祖たちが、脈々と命をつないできてくれたおかげで、僕が存在しているし、こうしてこどもも生まれてくることができた。これは、何百、何千、何万回も続けられている親子のリレーだ。

「ご先祖に感謝しろ」なんて今時流行らないかもしれないけど、毎年の墓参りくらいは欠かさず行こう、そう思った。

息子へ

息子よ、この先「おれは一人だ」と孤独を感じることもあるかもしれない。

でも、そもそも君は、お父さんとお母さんとの「はんぶんこ」。そして、その「はんぶん」は、たくさんのご先祖たちの血と愛によってつくられたもの。

だから「一人」なんて言っちゃいけない。一人で存在している命じゃない。雑に扱っていい命じゃない。

人は、生まれてきた時点で、一人じゃない。それは、幾多の命によって繋がれてきた、とても尊い存在なのだから。

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