長女は体重が16kgある。次女は9kg。総重量25kgを抱えて保育園へ続く道を歩く。なかなか足が進まない。すれ違うママさん達が軽快に子供達の手を引き保育園の門をくぐっていく。私達を見るその表情には同情のような同志のような曖昧な笑みが浮かぶ。私も笑ってそれにこたえる。毎朝恒例の光景なのだ。

 次女を妊娠した頃から、長女の様子は不安定になった。ちょうど自我が芽生え始める頃だったし、原因が私の妊娠だったかはわからない。妹が産まれるということをどこまで理解していたかもわからない。それまで笑顔で登園していた保育園に行くのを渋るようになり、些細なきっかけでひっくり返って泣く。そして歩いていると、私の前に回り込んできて手を大きく広げこう言うのだ。

 「だっこ!」

 
    外でも家でもとにかく抱っこを要求する。外出先では数メートルしか歩いてないのではないかと思うほどだ。最初のうちは理屈を説明して断っていた。「ママのお腹大きいでしょ、赤ちゃんがいるんだよ。赤ちゃんが苦しいかもしれないから抱っこできないんだよ」と。しかし納得できずに大泣きする。幸いにも妊娠の経過はよかったので、途方に暮れた私は可能な限り抱っこすることにした。いつかおさまるはず、そう思っていた。

 しかし次女を出産したあと、さらにひどくなる。
 
 「だっこだっこだっこだっこぉぉぉぉーー!!!」

 
   拒否するとヒートアップして手がつけられなくなる。既に15キロ近かったと思う。抱っこして歩くのには限界があるのだ。私が力尽きて降ろそうとするとさらに暴れる。主人が抱き上げようとすると拒否して転げまわる。主人ではだめで、私でなくてはいけないのだ。私は外に出るのが怖くなった。周りからはしつけのなっていない子、しつけのできない親と見られる。長女と同じクラスの子達はみんな笑顔で登園していく。ママ友と出かけてもうちの子以外はみんないい子にしている。歩いてくれる。いつしか私の心の中はこんな言葉でいっぱいになった。

 なんで?なんでこの子はこんなに育てにくいの?なんで私だけこんな思いをするの?

 しかしある時、そんな私達を見た母がこんなことを言った。

 「あなたもそうだったよ。外に出ると全然歩かなくてね。遊園地なんか行ってもずーっとお父さんが抱っこしてたんだから。」

 私の父は60歳の時に突然死した。悲しいと感じる余韻もないほどの、「呆然」という言葉しか当てはまらないほどの、あっけない最期だった。私が入籍した年だった。

 結婚を決めた時一番うれしかったのは、やっと孫の顔が見せられるかもしれないということだった。父はとにかく子供好きで、親戚の集まりがあると大人の輪を抜けて一人子供の中に飛び込み、汗だくになって遊んでいるような人だったのだ。

 それなのに。

 孫の顔を見せられなかったことが最大の後悔だった。娘達との幸せな瞬間があるたびに、あと数年早く産んでいたら、あと数年父が生き延びていたら、という気持ちがどうしても湧いてくるのだった。

 そこで私はこう考えるようになった。
 
 私は父から引き継いだDNAを使ってこの子を抱っこしている。父と一緒に抱き上げている。
 
 そうすると不思議と重さを感じなくなった。抱き上げた時に娘の鼓動を感じる。それもまた父から引き継がれたものなのだと感じるようになった。人の目も気にならなくなり、しつけとか、3歳過ぎて、とかそういったことはどうでもよくなった。娘は私に叶わなかった親孝行をさせてくれているのだと。そうやって喜んで抱き上げていると娘はすぐに満足して、1人で歩き出すこともわかった。

 父は私にあまりとやかく言う人ではなかった。いつも私を信じて見守ってくれていた。そうやって育ててもらった。それなのに娘が人と同じでなくてはいけないなんて、なぜ考えたんだろう。娘は娘のままでいいのだ。

 今日も娘が私の前に周りこみ腕を広げる。
 私は喜んで抱き上げよう。もし力尽きそうになった時は、お父さん、よろしく。

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味井戸バラ このユーザーの他の記事を見る

3歳0歳育児中のワーキングマザー。感情コントロールが苦手な長女を育てていくうちに、育児書マニアに。愛読書は雑誌「PHPのびのび子育て」、佐々木正美先生著「『育てにくい子』と感じたときに読む本」など。現在佐々木正美先生の「かわいがり子育て」を実践しており http://iyaiyaki.jp/ ブログに記録を残しています。

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