9月に「結婚について」シリーズでお話しすることになっています。

見るつもりがなかったテレビ番組、「しゃべくり007」ゲスト松山ケンイチさんのトークが聞こえてきて、興味を持ちました。中学生の娘が欠かさず見ている番組です。

しゃべり方のイントネーションで、「あ、この方、どこの出身だろう?」って思ったら、青森の方なんですね。私も東北出身なので、少し聞こえてきたイントネーションに「あ!」と思いました。

「結婚生活が幸せ?」と聞かれ、「そうですね。」と肯定。
「カミさんが面倒くせぇとか、ないの?」と有田さん(独身)に聞かれた際、「面倒くさいのがいいんですよ。仕事を忘れさせてくれる。ウザイのがいいんですよ。」とご自身の言葉で、結婚の良さを伝えていました。

「え、『ウザイ』の?」というツッコミに、「・・・あ、今『ウザイ』って言いましたっけ?・・・全然ウザくない。大好き、大好き!」と慌ててこちらの発言は否定。
本当に家族思いの子煩悩なパパさんぶりがうかがえました。

「面倒くさいのがいい」という松山ケンイチさんの言葉は、「なるほどなー。」と考えさせられました。

現在の日本が抱える少子化問題の陰には、結婚が『面倒くさいもの』と考える30代、40代が増えている現実があり、20代、30代の若者に至っては、結婚願望どころかそもそも「恋愛願望」がない。20代、30代で「恋愛願望がある」と答えた人は、なんと50%だったそうです。

約半数の若者は、「面倒くさいから恋愛もしたくない」「ただ、老後に一人は寂しいかな」という考えを持っているそう。

20代から私たち世代の40代に至るまで、結婚していてもいなくても、現代の日本の若者のキーワードとして「面倒くさい」という言葉が挙げられると考えています。

誰だって、面倒くさいことは嫌だし、できれば避けたいと思う。

だけど、確かに面倒くさいこともある「結婚生活」や「育児生活」には、それを超えた喜びや安らぎがあると松山ケンイチさんは語ってくれたと感じたのです。

私たち夫婦も、子育てしている中で、「あーあ」とため息をつくような思いがするとき、良く思い出す聖書の言葉があります。

「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる」(箴言14章4節 新改訳聖書)

家族がいなければ、子どもがいなければ、その分の苦労はしなくて良いことになりますし、煩わしいこともないでしょう。部屋だって散らからないし、洗濯物も少なくて済みます。

だけど、牛を飼う人や農夫が苦労をして毎日、牛や作物の世話をするのは、やがて見る「豊かな収穫のため」であることが分かります。

「面倒くさいから恋愛も結婚もしない。だけど老後の世話はして欲しい。」となると、「面倒だから、牛も飼わないし、畑も耕さない。でも収穫は欲しい。」と言っているのに近いような気がします。

収穫とは、「老後の面倒を見てもらう」ということだけではなく、松山さんが語ったところの子育ての中で見る喜びや驚き、結婚したことにより自分に自信を持てるようになった、精神的に安定してきた、といった「自分自身の成長」や、苦楽をともにし、その中で生まれる喜びや充足感なども挙げられるかと思います。

でも、結婚や子育てについて、「何が得られるか?」だけを考え、自分の人生にとって損得のようなことで考えていくと、何かが間違うように思います。「(結婚や子育ては)しないほうがましだ。」という結論に至る気持ちも分かります。

では、結婚は何のためにするのでしょうか・・・?今回は、このことについて深く掘り下げて書くことはしませんが、今、日本の若者の「結婚観」が大きく揺らいでいると感じます。

もう一つの問題は、「結婚して何がいいの?」という若者が増えているということ。私たちの親世代(50代~70代前後)夫婦のあり方に、魅力や幸せ感が感じられないまま育った若者が多かったということ。

本来、結婚は若い人にとっての「憧れ」であり、若い頃の「目標」であっても良いはずですが、そうではないとなると、「結婚して良かった!」と言う夫婦が増え、「あんな結婚がしたい!」と思ってもらえるような憧れられるモデルとなる夫婦が増えることが望ましいですね。

松山ケンイチさんの第三子が無事に生まれたというニュースを見ました。
松山さんには、是非これからも「憧れられる夫婦、家族」として、テレビで活躍して欲しいです。

キリスト教の結婚式では必ず読まれる「誓約文」にあるように、結婚は「健やかな時も、病めるときも愛することを誓う」という、いろんなリスクも含まれた決断をすることです。

「結婚しない」「結婚できない」理由は人それぞれだと思いますが、「面倒くさい」が主な理由であるなら、一歩、踏み出す事を前向きに考えて欲しいと願います。


結婚するもしないも本人の自由だ。その通りだと思います。しかし、やはり人間の常なる姿としては、基本的には「結婚するもの」であると考えます。(例外のケースは、色々あると思います。)

結婚に限定したことではなく、神様は、私たちに「何もリスクを負わないし、失敗もしない」ことを願っておられるのではなく、不完全ながらも人びと(家族、結婚相手、子ども)を愛し、人びとに仕える人生を願っておられると考えています。

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東京基督教大学神学部神学科卒、webライター1級

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