理由なんかあってないようなもの

やってる方は軽い気持ちでちょっとふざけてるだけ、だけどやられてる方は顔は笑っていたとしても内心は悔しくて悲しくて情けない。
いじめられた経験のある人ならあの、なんとも言いようのない、気持ちはわかって頂けると思う。


私の場合は小学生の頃からブログをやっていて同級生の誰かがブログを発見して、コスプレとかしていたのを見られたとこからかな?「にゃにゃえでけんさく~!!www」とか男の子たちにからかわれたりしていた。筆箱とかシャーペンと文房具のほとんどがアニメのキャラクターグッズだったことも、からかわれる原因にはなっていたと思う。

だけど、小学6年、中学1年の前半はいじられる程度でいじめとハッキリ認識していたわけではなかった。

緊急回避的 転校

私が明らかにこれがいじめというやつだなと認識したのは2ちゃんねる事件以降だった。この事件のせいで学校に行かれなくなったことが一番大きな原因だった。

何しろ、学校側が騙されたとはいえ個人情報を簡単に第三者に漏らしてしまったわけで、私が学校を休んでいる理由を他の生徒に説明できるわけがなかったんだろう。

何の説明もないまま、学校に来なくなった生徒は他の子から見れば単なる、登校拒否にしかみえないのは無理もないだろう。

学校に行かれない期間が10日を過ぎた辺りで、母が「このまま、学校を休み続けたんじゃ勉強も遅れていくし、家に引きこもっていたんじゃ精神的にもキツくなるから・・・」と学校側に対して住所をそのままで、この件が終息するまで一時的に転校したいと申し出た。

本当は晒された住所にそのまま住み続けるのはリスクが高いし、直ぐにでも父や二人の兄がいるところに引っ越して転校するのが最善策だった。しかし三番目の兄も地元の高校に通っていたし、祖母も近くに住んでいたからそれが苦肉の策だった。

学校側としてはどこまでも事態を隠しておきたかったからか、無理だ、難しいの一点張りだったが当時、父が住んでいた地域の中学校は快く受け入れてくれた。

転校先の学校では暫くの間、平和な時間を過ごしていたのだがしばらくすると、驚いたことにまた、女性の声で私の在籍確認の電話がその地域一帯の中学校にかかってきたそうだ。どこまでも電凸しまくる、行動力に今なら拍手したいところである。

転校先の学校では全てを把握していてくれていて、教育委員会を通して私の件で何か問い合わせ等があっても一切、答えないようにとのお達しをしてくれていたため、何事も無く済んだ。今でも先生方や教育委員会の方には感謝している。

転校先の学校では一時的な転校なのに、わざわざ、新しく制服を揃えるのも大変だからと担任の先生がPTAを通して卒業生の方の制服を借りられるように手配してくださったり、何かと親身になって相談に乗っていただいた。

お前の駐輪場ねーから!

裁判所からの仮処分申請がおりて2ちゃんねるから個人情報が削除されて暫くして、地元の中学校に戻ってから、いじりは明らかないじめに変わっていった。
本来であれば学校を休んでいた事情を説明したかったが、担任からその件を話すと色々、ややこしくなるから・・・と言われてなんとな~く戻る形になった。

「お前、なんで学校休んでたの?」「なんで戻ってきたの?」と聞いてくれる子もいたが「いや、別に」とか「まあ、なんとなく」としか答えられなかった。それまでのようにおちゃらけることもできなかったし、そもそも余裕がなかったのだ。多分、急に暗くなった変なやつという印象になってしまっていたのかもしれない。

戻って1週間位経った頃、同級生の女子に「実はあたし、あんたみたいな奴、嫌いなのよね-」と面と向かって言われた。あまりのストレートさに「?!へ~~~」というしかなかった。

その辺りから体育着がなくなる、上履きがなくなる、シャーペンが折られる、という軽いものから始まって、掃除の時間に男子生徒に箒で殴られそうになったり、「お前、なんで学校に来てんの?」「オタクきも」「もう、学校来んなよ」など毎日、いわれた。

これはいじめだったのかちょっとふざけただけだったのか判断に困るものなんだけど、廊下でいきなりジャージのズボンを下ろされてパンツになったこともあった。忘れ去りたい思い出だ。どんなパンツ履いてたっけ・・・?少し記憶に靄がかかっている。 

定番だと、教室に入ろうとしたら黒板消しが落ちてくるなんていう、古典的な手口に引かかったりもした。これはさすがに私も笑ってしまった。ちなみにチョークははたいてもあまりとれてくれないし、洗ってもなかなか落ちません。こいつは一本取られた!良い子は真似しないでね!

ある朝、登校したら自分の駐輪場所がなくなっていた。駐輪場にはそれぞれ一人ひとり
番号札があり、割り振られているのだが本来自分の場所であったはずの「そこ」に自転車を止めようとすると、そこには数人の生徒がいて、「ここはおめーの止める場所じゃねえよ」と言われたので黙って家に帰ることにした。

不登校生活のはじまり

そこから私の不登校ライフがはじまったのであった。


07:45 登校するふりをしてチャリに乗り、颯爽と家を出発
08:00 駅前の床屋さん(なかよし)に行く
13:00 チャリを家の裏に停め、帰宅
13:20 お昼ごはん
14:00 チャットに明け暮れる
16:00 ただいま~と言いながらチャリを表に回して帰宅のフリをする

週に5セットこれをつづけます。

この頃は母が隣の市のショッピングモールで占いの店をやっていて、月曜から金曜の10時から20時までは家にいなかったし、ばあちゃんも近所の農家の手伝いで昼間は留守だったし、兄も学校だった。だから母や兄やばあちゃんが出かけた後は完全にフリーダムだったのだ。上のスケジュールをこなすようになる前は暫くの間、チャリで町中を徘徊していたのだが、小学校の頃から仲良しだった、床屋のお姉さんに徘徊してるところを目撃され、「中学生が昼間にチャリで徘徊とかしてたらお巡りさんに怒られちゃうよ。学校にいくのがキツイならココで時間潰してていいよ」と床屋さんにいることを許してくれた。床屋さんのおじさんもとてもいい人で「マンガ、読んでていいよ-」とか言ってくれた。

このサイクルを中学2年の1学期の後半から中2の2学期の途中まで続けていた。私はなかなかに賢い子だったので終業式にはちゃんと学校に行って、成績表ももらってきていたし母にバレることもなかったのである。

しかし、この楽園のような生活は突然に打ち切られることになる。
いつもはチャリを床屋さんの裏に停めさせてもらっていたのだが、その日は油断していたのだろう。駅への道から見える場所に停めてしまったのだ。いつものように床屋さんでのんびりマンガを呼んでいたら「すみません、うちの娘がおじゃましてますか?」と聞き慣れた声が聞こえた。全身の血が逆流したみたいにサーッと血の気が引いていくのがわかった。オカンの声だ!!!しまった!怒られる!!!どうしよう、床屋のおじさんやお姉さんに迷惑がかかる!!

ところが職業柄、全部わかったんだろう。母は床屋のお姉さんとおじさんに丁寧にお詫びとお礼を言って私を家に連れて帰った。そして、学校に行けないなら家にいていい、兄ちゃんが高校卒業するのを待ってみんなでオトンの住んでるところに引っ越そうと言ってくれた。

それからは一日中、家にいる代わりに家の手伝いをしたり、2ちゃんねる事件後も続けていた、ライブ活動に力を入れたり、ブログの更新もしっかりやれと言われた。学校は休んでもできることだけは手を抜くなと言うのが不登校の条件だった。

普通の親なら何が何でも学校が一番大事だと言われたと思う。家は父も母もちょっと普通の親とは感覚が違うらしい。でも、だからこそ、助かったんだと思う。学校での出来事は学校の中だけでのことだし、ライブやネットの中で学校以外の人との繋がりがあったことが私を救ってくれていたことは間違いなかったから。

学校を休んでいたことで一番、ショックだったのは中学2年の2学期と3学期の成績表が白紙だったことかな。あれは流石にちょっと参った。これ、高校に進学できないんじゃないの?と不安になった。

不登校時代 とにかくよく寝ていたwww

中学3年 引っ越し 転校

中学2年から3年に進級する春休み、3番目の兄が都内に就職が決まり、私と3番目の兄が一足先に父のところに引っ越した。母だけは店の引き継ぎやら何やらですぐには動けず、暫くの間、地元に残ることになった。

その頃、所属していた事務所は受験のためにやめてしっかり学校に行こうと思っていたのだが、転校の手続きは済んでいてもなかなか学校に足が向かなかった。中1の頃にちょっとだけ緊急回避的に通っていた学校だったし、その頃の友達もいたのだが、元の中学校でのいじめがあって、学校にいくのが怖かった。

出典ニコ生のキャプチャー画像

その時期からちょうど、ニコニコ生放送を初めていて学校には行ってなくてもできることをやれ!と母に言われていたこともあり、毎日、配信していた。ニコニコ生放送とはプレミアム会員なら誰でもできるネット配信で日本全国の人が生放送を見てコメントを入れてくれる。そのコメントを拾って会話をしていくというチャット放送である。

その放送中に奇跡的なことが起きた。

「七歌ちゃんだよね?同じ中学校だった、〇〇だよ!」と転校先の同級生だった女の子がコメントをくれたのだ。私がニコ生をやっていることなど知っていたわけもなく本当に偶然、私のコミュニティの放送を見ていてくれたのだ。

「学校、おいでよ!待ってるから。」その書き込みに勇気を貰って、私はまた、学校に行くことができた。転校してすぐだったが修学旅行にも行けたし、体育祭や合唱祭にもちゃんと参加できた。あのたった、ひとつのコメントが私をもう一度、学校に行けるきっかけをくれたのだ。

中2の2学期、3学期の成績表は白紙だったし、出席日数のこともあり、諦めかけていた高校進学も先生方のお陰でちゃんと高校に入学することができた。

大好きだった転校後の中学校の卒業式で!

行きたくなければ行かないという選択

死にたくなるほど嫌だったら学校なんか行かなくていいと私は思う。確かに勉強は大事だし行けるなら学校は行ったほうがいいに決まってる。

だけど一旦、いじめが始まったら学校の先生は全くあてにならない。いや、あてにしてはいけない。私も不登校になる前に、先生に相談はした。母も先生と話をした。「自分がしっかり見てますから。」と頼りになりそうな言葉もくれた。本人はちゃんと見ていてくれているつもりだったのかもしれない。

だけど実際に何かが起きるのは休み時間や放課後で、先生が見ている時に嫌がらせをしてくる大胆な奴はなかなかいない。

掃除中に「こいつ、何にもやってません!」という男子の言葉を鵜呑みにした、担任の先生に「お前、いい加減にしろ!」と怒鳴られたこともあった。私は一人で先に掃除して終わらせてたのに!あの時の男子のニヤケ顔は今、思い出しても腹が立つ!

例えば、転校前の地元の学校から10年後とか15年後に同窓会のお知らせが来たとしても、私は絶対に行かないと思う。

学校は絶対に行かなきゃいけない場所ではない。不登校や転校が逃げだなんて思う必要なんかない。私は不登校になることで自分を守り、転校することで自分の居場所を手に入れることができたし、今、生きていられるんだと思う。

ここ数年、いじめで自殺をする子が後を絶たない。こういう事件が起きる度にどんな理由があっても自殺する奴が一番悪いっていうやつがでてくる。確かにどんなに苦しくても悲しくても自殺っていう逃げ道を選ぶのはいけないことだし、そういう意見もあって仕方ないとは思う。

でも、本当に一人きりでいじめられてることを言えずに、最悪な逃げ道を選んだ人を責めることは私にはできない。私も一番苦しかったとき、「今なら東京タワーから飛び降りたら空を飛べそうな気がする!」って思ったことがあったから。本当に実行するかしないか運なのかもしれないと思ってしまうから。

いじめられる人に問題があるとか自殺を選んだ人に愚かだとか言える人間はきっと他人の心の痛みをわかろうとしない想像力に著しく欠ける人なんだろう。

何があったとしても一番大事なのは生きていくことだから!!死ぬほど嫌なら学校なんか行かなくていい。とにかく生きてれば何とかなる。

乗り越えられれば絶対に強くなれるから!!不登校、いいじゃん!転校アリアリ!!!

これがフルコースを美味しく頂いた七歌17歳の実感である。

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