幕末をこよなく愛する「幕末女子」という存在

歴女の中でも特に幕末の時代を愛してやまない女性を「幕末女子」と呼ぶそうです。「歴女」に比べるとメジャー度が低い言葉なので世間的認知も低いことが予想されますが、彼女たちの心意気は非常にアツいです。

「花燃ゆ」でも登場!吉田松陰はどのようなスタイルで教えていたのか

吉田松陰は一方的に授業をすることはなく、塾生の意見を聞くなど対話を重んじ、各人の個性や能力が尊重され、可能性を引き出したと言う子弟の人数が増え続けた為、1857年11月、杉家の家族は庭先の小屋を修理して吉田松陰に松下村塾を引き継がせた。
 塾は木造瓦葺き平屋建ての小舎であり、当初は8畳の一室で塾生と共同生活を開始。  吉田松陰の教えはたちまち評判となり、長州藩校・明倫館は武士の子しか入学できなかったのに対し、松下村塾は町民・農民など身分の隔たりなく受け入れ、塾生名簿は現存しないが、塾生は約50名、述べ90名ほど教えたと言う。

出典 http://www.jpreki.com

「松下村塾」といえば吉田松陰ですが、開いたのは松陰の叔父にあたる人物の玉木文之進という人物だそうです。彼が1842年に私塾として開いたのが松下村塾です。

松陰は「教えこむ」というスタイルではなく、個人の可能性を重んじる対話型の教えを展開していたようです。

「るろうに剣心」の剣心のモデルとは?

緋村剣心はアニメ上での人物であることは間違いありませんが、実は彼のモデルとなった人物がいます。それは「河上彦斎」という長州藩主だそうです。

1863年、熊本藩の親兵に選ばれて、宮部鼎蔵らと同様の幹部となるこの時、幕府の要人を斬ったと言う「人斬り彦斎」の異名で呼ばれる事となるが、確実に斬った人物は1864年7月の佐久間象山だけで、何人斬ったなどは不明である。
河上彦斎は色白で小柄な女性のようだったようで、男色との話もある。剣は独自の自己流で、片手抜刀の達人であり、低い姿勢からの逆袈裟斬りが得意であったと伝わる。これらの事から、るろうに剣心「緋村剣心」のモデルにもなっている。

出典 http://www.jpreki.com

幕末の英雄たちの生き様が集結したサイトがアツい!

今までの話は全て「幕末・維新風雲伝」というサイトのものですが、今、まさにこの場所に幕末の英雄たちが集っているようなサイトです。多くの史実が分かりやすく掲載されているので幕末について興味を持った方は是非アクセスしてみてください。

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