NHK「ラジオ深夜便」を聴いたことがありますか?
毎日、夜11時15分から翌朝の5時まで放送している番組です。
その中の午前4時台は、毎回ひとりのゲストにインタビューする
「明日(あす)へのことば」というコーナーですが、 
先週金曜日、6月19日は女優の東ちづるさんがゲストで、
芸能界入りする前から今日に至るまでの、様々なことについて話していました。

2002年に「<私>はなぜカウンセリングを受けたのか 『いい人やめた!』
母と娘の挑戦」という本を出版し、そのときも大きな話題になったので、
ある年令以上の人は覚えていると思いますが、東さんは、10代のころから
お母さんとの関係性の問題などが原因で、精神的にきつい日々を送っていました。

芸能界に入ってからも、それは消えることはありませんでした。
芸能人で人気があり、美人で愛嬌もあって、
「お嫁さんにしたい女性タレントNo.1」で、
ということなら、普通は順風満帆、問題なし、です。

ところが、東さんは人気者になりながら、一方で、自分という存在と向き合って、
悶々とする夜を過ごしていた、そのころのことを、「ラジオ深夜便」で、
女性ディレクターのインタビューにこたえて話したのです。

   悩んでいましたねえ。芸能界に私のいる場所はないなあと。
     女優の勉強をしたわけでもないし、劇団にいたわけでもないし、
     いい大学を出たわけでもないし。
     芸能界だけでなく、私の存在そのものが分からなくなっていましたね。
   私らしさって何?っていう。
     「お嫁さんにしたい…No.1」になったときも、何か…モヤモヤして。

  ひとりになると涙が出るし、眠れなくなるし、早く朝になってほしいけど、
    朝になるとまた1日が始まるのが怖かったんですね。
    でも、仕事があるときは集中している、なんか私の中にふたりいるような
    気がして、「明朗闊達なちづるさん」というのも本当、
    裏側にいるもうひとりの私も本当、でも、こんなものなのかなァって、
    都会で働いている人ってみんな、こうなのかなァって、
    だからこのままでいいのかなって、という感じもあったんですよ。

「アダルトチルドレン」ってこれ、私のことじゃない!

 そんなとき、一冊の本を読んでいて「アダルトチルドレン」という言葉を
 知るんです。
 この症状は私と一緒だ。
 「家庭のなかで何かの事情で自分らしく生きられないまま大人になった人」という
 ことなんですけど、
 ウチの場合は、父がアルコール依存症、そうだと気づかない依存症、
 お酒を飲んで暴れるというわけでもなく、母は悪気なく、
 私に長女だから期待をする、
 「いい子でいなさい、優しい子でいなさい、愛されなさい、頑張りなさい」
  それを私は無自覚に期待に応えた、いい子をやった。その流れで、いい人をやった。
  いい人をやったから「お嫁さんにしたい」といわれるタレントになった。
  それで息苦しさを感じるようになった、ということに気がついたんです。

母との親子ゲンカ3年、母もカウンセリングを受けることに。

それから、心理学関係などの本を読みあさった東さんは、自分の今の状況は、
お母さんが悪気なく、「いい子である」ことを求め続けたことが大きく影響した、
というところに行きつく。
東さんのお母さんもまた、「いい子であることを求められ、それに応えようとした」
子どもだったらしい。
あるとき、東さんの妹の子ども、つまり孫に対しても娘に言ったのと同じことを
言うようになったのを見て、東さんはその甥っ子姪っ子に言います。
「全部頑張らなくてもいいのよ。
 負けることも大切。なぜ負けたかを考えるのよ」
そしてお母さんには、「孫に対してあなたのモノサシを押し付けるのはどうかな」と。
当然のことながら、母上は混乱する。「私の育て方が間違っていたというの」
そこから始まる「親子ゲンカ3年」と東さんは笑いながら言っていました。
そして「泥沼」だったと。

そんな中で当時出演していた「週刊ボランティア」という番組にゲストで出演した
スクールカウンセラーの先生に「東さんはどんな高校生だったんですか」と聞かれ、
東さんが「私、つまんない優等生やってたみたいで、だから高校のときの
記憶がないんです」と答えると、その先生は「よく頑張りましたね」と
言ったそうです。

「記憶を失くさないと自分を壊してしまう可能性があった、それぐらいつらい思春期
だったから忘れている、それは自分を守るためだったのですよ」
先生に言われた東さんは、「その場で号泣しそうになるのを我慢して、
トイレに行き泣いた」そうです。
そして、これは何とかなると思った東さんは、お母さんに一緒にカウンセリングを
受けることを勧めます。

「私は変わる必要はない。でも娘が受けてほしいと言うなら」ということで、
母子ふたりでカウンセリングを受けることになったのです。

母は、新しい扉を開け、自分の人生の主役になった。

カウンセリングを受けるなかで、お母さんは心のカギを開け始める。
今まで「マイナス」のことは決して言わなかった人。
若くして嫁いで、いろいろなことがあっただろうに、
グチや弱音のようなことは一切話すことのなかった母が、
先生に対して、子どものころのことや昔、つらかったことを話すように
なっていきます。

そして、母と娘は、3年間に及ぶ親子ゲンカに終止符を打ち、
今、お母様は、タレント養成所を卒業し、地元のコミュニティFMで
番組のパーソナリティをしているとのこと。
「娘いのち」ではない、東さんの誕生日も忘れるくらい、
自分の人生の主役として生きている、ひとりの人間。

「カウンセリングを受けてよかった」と東さんは言います。
そして「だからといって、みなさんにおすすめするつもりはない」とも。
人それぞれの方法があるだろうから。
「でも、母は新しい扉を開けられると思った」

自分らしく生きるようになって友だちの数が減ったという東さん、
「でも、いざというときお互い駆けつける友だちがはっきりして、
 とても安心できるというか、楽になった」とも。
番組は、母と娘の闘いの話から、東さんの社会活動についての話題に
変わります。

つながることは面倒くさい。けれど一人よりはみんなで。

骨髄バンクの支援をはじめ、今は、「Get in touch」という一般社団法人の
理事長をしている東ちづるさんは、東日本大震災のとき、避難所で見た光景を
話します。
 
 被災地の避難所が「混ぜこぜ」だったんです。
 見えない人、聴こえない人、寝たきりの人、外国の人、
 そういう人たちが集まった「混ぜこぜ」の社会の縮図だったんです。
 ところがそういうマイノリティの人たちが、やんわりと排除されることが
 あったんです。
 「ここはバリアフリーではないから、車イスの方は、ほかの避難所に
 行った方がよくないですか」とか、子どもが障害があるから、まわりに
 迷惑をかけると言って、避難所に入らない人、そういうことがあったんです。
 
 本来なら、みんなで支え合うのが避難所なのに、ふだんから混ぜこぜの中で
 暮らしていないから、そういう特性を持った人たちと、どう対応していいのか
 わからないんですよ。
 みなさん、悪気はないんですよ。

 それで、混ぜこぜの社会、多様性のある社会、いろんな人たちが街にいる、
 そういう社会を作りたいと思って「Get in touch」の活動をしています。
 
 大震災のとき、たくさんのNPOや団体がいましたが、横のつながりが
 なかったんです。
 省庁とか企業とか家族とか、そういうものとつながって、捲きこんでいく
 ことも必要なんです。
 それで、よし全部とつながるぞ、ということで「Get in touch」という
 名前にしました。つながるとか報告するとかいう意味です。

でも、「つながる」という言葉は、そのころ嫌いだったと東さんは言う。
 
 大震災のとき、盛んに「つながる」ということが言われたけど、
 何か、「つながる」という言葉を使うことで気持ちよくなっている、
 そんな感じがして。
 仕事でつながる場合は、利潤の追求などの目的でやるけれど、
 仕事以外でつながるって、めちゃくちゃ面倒くさいですよ。
 いろんな人がいるし。
 だから、その言葉ではなく、「Get in touch」にしたんです。 

「心のバリア」がなくなれば、階段も段差もないと同じ。

「混ぜこぜ」の社会を実際に体験してもらうために、「Get in touch」は
アートや音楽のイベントなどを通じて、マイノリティの人たちと出会う場、
時間を提供するという活動をしています。

 最初はビックリするんです。「あの…、見たことがない人たちがいるんですけど」
 だから言うんです。「大丈夫ですよォ、普通にしていて楽しんでください」
 「でも、何か聞いてもいいんですか」「いいですよォ、義足の人にその足、 
 どうなっているんですか、って聞いてもいいんですよォ」
 
  「違う」ということを面白がる、興味を持つ、それでいいんです。
  「自閉症ってどういう病気なんですか」と聞いてもかまわないんです。
 ただ、おずおずと聞かないこと。

そして、東さんは、2020年のオリンピック、パラリンピックがあっても
日本はバリアフリー社会にはならないだろうと言います。
 
 だって国土がせまいし、レストランだって車イスがバーッということには
 なりません、階段もあります。
 でも私たちのこころにバリアがなければ、車イスを「ハイ、ヨイショ」って
   上げれば
いいんですよ。
 「何かできることありますか」って聞けばいいんです。
  そういうふうになれば、日本は本当にやさしい国になると思います。

人に特性があるために生きづらさを感じるのは、社会の側に不具合があるから。

 WHO(世界保健機関)が言っているんですけど、
 「その人に特性があることで少数派に属され、そのことで生きづらさを感じるのは
 社会側に不具合があるからだ」と。
 だから私は、「視覚障害」とか「聴覚障害」とか言うのをやめたんです。
 この世には見える人と見えない人がいる、聴こえる人と聴こえない人がいる、
 歩ける人と歩けない人がいる、すべての人が生きづらさを感じないほうがいい。
 その特性を「障害」というのはおかしい。

 いろいろな活動をしていると、「聴こえない人が8割、聴こえる人が2割」という
 ことがあります。そういう場での共通言語は「手話」なんです。
 それで、手話ができない私は少数派になる。マイノリティの側です。
 そんな私が生きづらさを覚えるのはおかしいでしょ。じゃあ、筆談しよ。
 これが少数派に対する配慮です。

このあと、インタビュアーが「お連れ合いとの関係はどうですか?」と質問して、
話題はご主人とのことになります。

一緒に泣くことはしない。どちらかが涙をぬぐってやる。

自分が仕事とGet in touchの活動に突っ走るので、ときどき夫は応援できなく
なるらしいと笑う東さんは、ご主人とのあいだで、お互いのことを邪魔しないと
いう約束をしているんだとか。
番組のなかで、東さんは「パートナー」という言い方をしていたので、
「主人」という言葉を使うと、「私は夫の使用人ではありません」と言われて
しまうかもしれませんが、ここではとりあえず、その言い方にします。

ご主人が6年前にある難病、それも国が難病に指定していない難病と診断された
のですが、病名がわかるまで2年、脳神経系の病気で、今は、車の運転はできるが、
歩くことはできない、という状況だと話していました。

 私は、いろいろな活動をしたり、患者さんと会うなかで、自分や夫、家族に
 何が起こるか分からない、という覚悟はあったほうだと思うんですよ、でも
 病名が分からない病気になるとは思ってなかったです。
 2年間病院を回っても病名が分からず、分かったら治療法がないと言われ、
 治らないと言われ、「おお、そう来たか」
 でも、私は「前例がない」という言葉が嫌いで、じゃ、私たちが前例になろう、と。
 夫が毎日言うんですよ「ぼく、治るかな」「治るよ」「どうして」
 「根拠はないっ!」

そう言って、東さんは笑いました。
1日5回ぐらい、そんな会話をしているそうです。
闘病生活のなかで、ご主人がふと、「自ら死を選ぶとか、一緒に死んでくれという
人の気持ちが分かる」と言います。そこで東さんが言った言葉は、
人によっては、ずいぶん冷たいことを言うなあという印象を受けるかも
しれません。

 そうだねえ、気持ちが分かる、この、気持ちが分かったということはよかったねえ、
 さあ、ここからどうする、考えよう。
 一緒に泣くってことはしないよ、もしあなたが泣くときはひとり、
 私が泣くときもひとり、一緒に泣くことはやめようね。

なぜ、一緒に泣いてはいけないのかという質問に、「どんどん落ちて行くから」と
言い、そのあと、「ま、一緒に泣くこともありかなと思いますよ」と、
つけ加えていました。

「Get in touch」が解散する、その日が早く来ないかなあと言う東ちづるさん、
約40分間のインタビューが終わったとき、夜はすっかり明けて、時刻は5時前。
夏のさわやかな朝を迎えました。
きょう一日を生きるちからをもらった、そんな気分でした。
まいた種は、必ず花が咲く、そのことの喜びを私も経験できるようにならなくては。

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日々、「ことばのちから」について考えています。
ここでは映像ありきでない、言葉で伝えるいろいろな方法を試してみようかなと
思います。よかったら、ブログも覗いてみてください。キョンキョンについても
書いています。
http://blog.livedoor.jp/gonta5788/

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