「泥のついた一万円札」という言葉を聞いて、このテレビドラマを思い浮かべる人は、
かなりドラマ好きで、しかも、ある年令よりは上ではないかと思います。
このドラマが放送されたのは、1987年3月ですから、今から28年前のことになります。
「北の国から'87初恋」  最初の連続ドラマから始まって、そのあと何本もの
スペシャルドラマが制作され、2002年9月の「北の国から2002遺言」で完結した
人気ドラマのすべての作品のなかで「最高傑作」という声も多い名作です。

その最高傑作のラストシーンは、テレビドラマ史上に残る名場面ですが、
その撮影現場であった、あるエピソードは、このドラマシリーズがいかに素晴らしい
スタッフたちによって支えられてきたかを物語っています。
その話のまえに、「北の国から’87初恋」が描いていたテーマについて、
物語を追いながら、おさらいしようと思います。
そのことによって、ラストシーンの感動がより一層増すことになるはずです。
(以下、文中のセリフはすべてオリジナルの映像から書き起こしたものです)

「純の初恋」と、もうひとつのテーマ「父と息子」

物語はタイトルからもわかるように、純の初恋を中心にストリーが展開していきます。
しかし、一方で「父と息子」というもうひとつのテーマも重要な柱のひとつで、
成長してゆく息子から見た父親の衰え、自分が幼かったころは、絶対的な存在だった
父が、なぜか弱弱しく見えてしまう、そのことへの苛立ち。
少年が親を乗り越えてやがて大人になってゆく、
誰もが経験する人生のある時期の苦しみを描いたドラマ、と言ってもいいと思います。

純は中学三年生で、翌年春の卒業を機会に家を出て、東京に行き、定時制高校に
通いながら働こうと思っています。
しかし、そのことを父親の五郎(田中邦衛)には言えず、岩城滉一演じる草太に、
そのときには10万円貸してくれと頼み、自分の決意を話します。

ひょんなことから純の気持ちを知ってしまった五郎は、同級生の中畑(地井武男)と
飲み屋で話しているときに、息子が東京に行きたがっているようだと言うと、
中畑は草太から聞いて知っていたとこたえます。
ショックを隠さない五郎。

  「そうか、まわりはみんな知ってたのか。おれひとりだけ、
    知らなかったってわけか・・・。
    まあ、そんなことは・・・いいけどさ」

不器用な父。思春期の息子が迎える「親捨て」のとき。

五郎の誕生日の夜、帰宅した五郎を待っていたのは真っ暗なわが家。
どうしたのかと玄関の戸を開けて家のなかに入った途端、電気がつき、
「ハッピーバースデー、ツーユー」の歌が。
純や蛍、それに草太も、笑顔で五郎におめでとうの言葉をかけます。
五郎の表情は硬いまま。純は興奮ぎみに、自分が風力発電の装置を作り
それでラジオも聞けると、スイッチを入れます。
五郎は言います。「消せ」「え?」
「その音を消せ」スイッチを切る純。
「おまえに聞きたいことがある。おまえ、東京に行くのか」
お父さん、どうして知っているのという表情の蛍。

「いや、それは・・・」
「行きたければ行けばいい・・反対なんかしない。
 ただ・・おれは・・おれは心の狭い男だから、
 おまえのやり方に引っかかっている。
 なぜおれには何も相談せず、ほかのみんなには相談するんだ。
 なぜ父さんにだけ、相談がない。
 おれはそんなに頼りにならんか?」
「違います」
「じゃあどうして、真っ先におれに相談しない」
「・・・・言えませんでした」
「どうして?」
「だって、父さんが困ると思ったから」
「困る? どうして? どうしておれが困る?」
「・・・」
「それはカネのことを言っているのか」やや情けなさそうな五郎。
「いや、それだけじゃなく・・・」
そこで草太が助け舟を出します。
「おじさん、ま、いいべその話は」

純は、いたたまれず二階に逃れようとします。立ち上がって純の腕をつかみ
引き戻そうとする五郎。
「落ち着いてよ、父さん、今夜はその話、いいじゃない」
しかし、五郎の高ぶった感情は収まる気配がありません。
純は、きょうのために何日もかけて風力発電を作ったこと、そのことを
なぜもっと喜んでくれないのかと、泣きながら問います。
そしてついに純の口から決定的なひとことが。

「情けない」と中三の息子から言われた父親は、どうする。

「情けない」と純は言ったのです。自分がこの家を出て行くのも、そんな父さんを
見たくないからだと。
わが息子に「情けない」と言われた五郎の気持ちはいかなるものだったでしょう。

そのまま家を飛び出した純を追いかけて草太も走り出します。
つかまった純に、夜の闇につつまれた林のなかでしゃがんだ草太が言います。

「おまえの気持ち、おれは分かる。したっけ、おじさんの気持ちも分かるぞ。
 男は見栄で生きてるもんだ。いくつになったって、男は見栄だ。
 おまえが、おじさんが困ると思って相談しなかった気持ちは分かる。
 したっけ、おじさんがいちばんつらいのは、
  そういうふうに見られているってことだ。
 息子のおまえにいたわられているってことだ。
 男は誰だっていたわられりゃ傷つく。それが男だ。

黙って聞いている純。

物語は、そのあと、純の初恋の相手れい(横山めぐみ)の父親が莫大な借金のため、
一家で夜逃げをすることで、純の初恋は突然の終わりを迎えます。
ふたりで過ごした思い出の納屋にやって来た純は、そこで、れいからの別れの
メッセージが書かれたクリスマスカードを見つけます。
迎えにきた蛍が、
「父さんがね、お兄ちゃんに言ってあげなさいって。卒業式が終わったら
  東京に発つようになっているからって」

純の旅立ち。そして名場面の撮影現場でのできごと。

そして卒業式。その映像に純のナレーションが入ります。

 三月、ぼくは中学を卒業した。
 ぼくは東京へ出ようとしていた。
  (中略)
 父さんや蛍をこっちへ残して。
 ふたりのことを考えると…たまりません。
 だけど、自分の将来を考えれば、
 どっかで、父さんを捨てねばならず…。

翌朝、荷物を持ち、家をあとにする純。蛍が一緒だ。

大きな道路に立つふたり。そこへ大型トラックが来て止まる。
助手席から五郎が降りてきて、運転席に向かってひたすら頭をさげ、
純に乗るように促す。「元気で、行ってこい」
右手を差し出す五郎、純もその手を握る。無言の父と子。
助手席に乗る純。窓から半身を乗り出す。
トラックが走り出す。少しの間、トラックを追いかけた五郎と蛍だが、
スピードを上げたトラックは走り去ってしまう。

純は小さな声で「よろしくお願いします」と言うとカセットプレーヤーを
取り出し、イヤホンを両耳にあてる。尾崎豊の「ILOVE YOU」が流れる。
しばらくして、イヤホンのコードが引っ張られて耳から外れる。
驚く純「すいません聞こえませんでした」
ダッシュボードをあごで示す運転手(古尾谷雅人)
封筒が置いてある。
「は?何ですか」
「カネだ。いらんというのにおやじが置いてった」
「いや、それはあの…」
「いいから、おまえが記念にとっとけ。抜いてみな。
  ピン札に泥がついてる。おまえのおやじの手についてた泥だろ。
  おれは受け取れん。おまえの宝にしろ、貴重なピン札だ。
  一生とっとけ」
純が封筒を手に取り、なかを見ると、一万円のピン札が2枚、
その淵には確かに泥がついていた。
その泥を慈しむように、自分の指をあてる純。
こらえていた涙があふれ出す。
主題曲が流れてくる。同時に、これまでの親子三人の暮らしの
様々なシーンが次々に現れる。あの有名な、ラーメン屋の場面も。
雪の町を走り去るトラックのロングショット。
そしてエンドマーク。

日本中が泣いた。このドラマの放送日、1987年3月27日の夜、
日本中が泣いたのです。
あなたは、何をしていましたか。まだ生まれていなかったですか。

さて、このラストの、純が一万円札の泥をさわっているうちに、涙があふれ出す、
という場面。なかなか、うまくいかなかったという。
純がどういうわけか、泣けないのだ。
役者というのは因果な商売で、親が死んだ日でも、喜劇を演じていたなら
お客を笑わせなくてはならない。
でも、泣くという演技は、素人が考えても、そう難しいことではないと思うのだが、
吉岡秀隆くんは若すぎたのか、どうしても涙が出なかった。
何度も本番を繰り返す。だが、杉田成道監督からはOKが出ない。
時間は残酷に過ぎてゆく。
さすがに現場の空気に微妙なものが混じり始めたその時、カメラマンがいった。

「純、いいから気にするな。おまえがちゃんとできるまでおれたちは待っているから」

次の瞬間、純の目からどっと涙があふれた。
それを逃さずカメラに収め、監督の声が飛んだ。
「オーケー!」

「吉岡」という実名でなく、「純」という呼びかけ方に、スタッフとキャストが
一体となって、このドラマを制作してきたことがうかがえます。
カメラマンは、まさか狙ってこのキメのひとことを言ったわけではないと思いますが、
焦る気持ちでいっぱいだった純のこころに見事に刺さったのです。

テレビドラマ史上、屈指の名作。
その名作の中でラストを飾った「泥のついた一万円札」。
それをさわりながら純が流した涙のウラには、心やさしいカメラマンのひとことと、
スタッフたちのプロ魂があったのです。

この記事を書いたユーザー

俵一平 このユーザーの他の記事を見る

日々、「ことばのちから」について考えています。
ここでは映像ありきでない、言葉で伝えるいろいろな方法を試してみようかなと
思います。よかったら、ブログも覗いてみてください。キョンキョンについても
書いています。
http://blog.livedoor.jp/gonta5788/

権利侵害申告はこちら