〔何が、満たされたか?〕

オークションを眺めてみていただくと、一目瞭然だ。
「限定品」

「レア物」
の商品は必ず入札数が多い。
中には、限定品ではないのに限定品と標榜し、スルーされている物もあるが。

この、
「限定品好み」

「レア物好き」
の嗜好と持つ方々は、その潜在的な数も含めると、かなりの数いらっしゃるのではないだろうか。
この選別思考…というより選別嗜好は、選ばれた物をもつという優越感が、自分は選ばれた者であるという自己認識の、代償行為と心理学では定義するが、この選別指向は実は、快・不快の原則からみると、
さらにエグい。

もともと、選別指向や選別嗜好は、自己顕示欲と等しくヒトにとって快と設定されているから、選別されないこと、選別しないことを旨とするには不快を選択しなければならないのだ。
不快の選択は、理性では可能でも、本能が抗う。
だから、意識的なトレーニングを積まなければ、寿命すら縮める結果になり兼ねない。
ただし、快だけを選択し続けると、人は人に非ずといった結果に陥り兼ねない。

〔欲は満たされたか?〕

だが、人という種の不思議さの如く、人には不思議な能力が備わっている。
この不快の選択を、短期的に見れば、ホルモンの分泌は低下し、自律神経系は乱れるかもしれない。しかし、それを意識化してい継続していくと、今度は快・不快のスイッチが逆転するのだ。

こう書くと、非常に大仰に思えるが、実はこのプロセスを利用したトレーニングは、人の社会では数多の、特に義務教育のシステムに組み込まれてきた。

宿題をやることも、自由時間が終わることも、解を求められず立たされることも、それ自体一つ一つが小さなトレーニングなのだ。
では何のためにそんなトレーニングを幼少の頃から、チマチマとややらされるのか。

〔どこに向かっているのか、立ち止まる必要はないか?〕

社会という集団形成からドロップアウトしないためである。
そしてもっと大きな目的は、形成した社会の集団が、衝動に流されて悪さを選択し実行しないように、個々に理性というチェック機能を埋め込んで、そのブレーキを鍛えておくことである。
だから、集団の中でのトレーニングは実は、大変に大切で必要なのだ。
それを見守る教師という立場の人間の存在も、もちろん重要だ。
だからかつては教師という立場の人間は、社会で大切にされてきた。

なぜ、
「センセイ」

「偉い」
のかというと、本来家庭で行うべき教育や躾、とくに大家族で多世帯という環境でしか育むことが出来なかった、パブリックな精神を、学校という場が親に成り代わって施すからに他ならない。だから親は一歩引いて、センセイを先生と崇め、先生に我が子の処遇を全面的に任せる姿勢を我が子に見せることで、教育を担保した。

現在はすべからく核家族で、家庭に社会性がなく、あるのは命令と服従の関係のみであることから、親自身に必要なパブリックな精神が未発達・未分化なまま、だ。
だから今の親は我が子が怒られると、理由も聞かずにセンセイに文句を言う。他の親を捕まえてどなりとばす。それはすべからく、親になり切れていない親であることの証明に他ならないのだが。

〔充足と、充実と〕

衝動に流されないトレーニングは必要だ。
それはヒトが人に成長して、支えあう相互扶助の社会を形成するトレーニングなのだ。
だから、快・不快の原則から見れば、快のみをひたすら選択するのではなく、不快を選択し、それを意識化して生活に落とし込むことで、その行為を快に替えていくトレーニングは、大人にも必要だ。
特に、
「限定品好み」
の方。
「レア物好き」
を標榜する方は、要チェックだ。

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