西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と褒め称えられた金子みすゞは、
1903年4月11日、山口県大津郡で誕生しましたが、
1930年3月10日、26歳という短い人生を、自らの手で閉じました。

本名を、金子テルと言います。

みすゞの父親は、
彼女がまだ3歳という幼い時期に、清国にて不慮の死で亡くなっております。
その影響なのか?
弟雅輔(本名正祐)は幼き頃に、
みすゞの母の妹宅(上山家)へと養子に出されますが、
その叔母が亡くなったために、雅輔の義父となった人物、いわゆる叔母の元夫と、
みすゞの母が再婚することになり、母姉弟は、一緒に住めるようになるのです。

その後、みすゞはすくすくと成長し、
1926年、宮本啓喜なる人物と目出度く結婚をし、一人娘を授かります。
が、夫の度重なる女性問題が原因となり、家を出ることに・・・。
みすゞが家を出ても、夫の放蕩はいっこうに治りませんでした。

みすゞは離婚を選び、一人娘の親権に争う姿勢を見せる夫への対抗心から、
自身の母に大事な一人娘の将来を託し、その旨を遺書に認めた後、服毒自殺を図り、
26歳の短い人生を閉じたのです。

26年という短い人生の中で、みすゞは512編もの誌をつづっているのですが、
それらの誌は一斉に「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」「金の星」の4誌に
掲載されたとのことです。

みすゞのセンセーショナルな?
大正から昭和に変わる激動の時代を生きた、みすゞの人生。
自らの命と引きかえに、娘の将来を願い、自身の母親に託しながら死んでいく気持ちの無念さは想像することしかできません。

観光旅行などで、山口を訪れた際は、
長門市にある「金子みすゞ記念館」を訪問されてみてはいかがでしょうか?

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