世界初寝台電車誕生

出典blackcat撮影

新大阪駅に、到着する「寝台特急明星」

世界初!昼夜兼行寝台電車誕生

昭和42年、国鉄では増え続ける輸送力確保のために、昼も夜も使える車両を開発しました。
それが、581系寝台電車でした。

当時は、今のように飛行機も発達していなかったので、長距離の旅行をするときは自ずと国鉄しか選択肢がありませんでした。
もちろん、飛行機も飛んでいましたが運賃は高く、一部の富裕層が利用する程度でした。

国鉄としても寝台列車が昼間寝ているのは勿体無いので、その間も走らせてはどうかということで、計画が進められました。
種々検討された結果、当初は、当時の2等寝台(B寝台)をそのまま使う形で準備を進めようと計画したそうです。これなら、昼間は4人座らせれば72人の定員は確保できます。  夜間も54人程度(実際には交流区間のために屋根を低くしなくてはならず、50人程度)を確保できるめどが立ったのですが、実際にダイヤを検討してみると、急行で走らせると、折り返しの時間が取れないと言った問題が判明し、急遽特急でダイヤを組むこととなりました。

そうなると、今度は困ったのは車体を考える方です。

153系電車の足回りにナハネ11の寝台車を載せるようなアイデアだったのが特急用にふさわしい車内ということで、苦肉の策で考えられたのが、プルマン式開放式寝台車をベースに3段式にした寝台電車でした。

寝台特急月光・みどり誕生を知らせる当時の車内広告

出典blackcat撮影

九州鉄道記念館で保存されている715系車内にて

アクロバチックな寝台構造は日本だから出来た発想?

この方式では、従来の2等寝台と比べると定員が54→45と減少することが問題視されましたが寝台料金で調整することなりました。
また、寝台料金を多少値上げした代わりに、従来1等寝台のみ使われていた浴衣を寝台電車利用者にも使えるようにしたのはサービスアップででした。

当初の浴衣は工部省の「エ」マークが印刷された浴衣だったと記憶しています。

この寝台列車の構造は本当に独特で、今まででの1等寝台の場合上部から寝台を下ろしてきて上段の寝台とする構造は基本的には同じですが、2等寝台(B寝台)なので、3段にする必要があり、寝台の中に寝台が入る入れ子構造になっていました。

ただ、寝台の設営と解体は時間がかかるため、走行中の解体は基本的に下段の寝台部分の復元と中段を仮固定すると言った運用もされていたように思うのですが、その辺は今手元に資料がないのでまた別の機会にアップさせていただきます。

クハネ581の内部

出典blackcat撮影

寝台特急の車内、荷棚上部が寝台となっており、これを引き出して夜間は寝台とする。

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加藤 好啓 このユーザーの他の記事を見る

初めまして、鉄道ジャーナリストの加藤好啓です。
特に旧国鉄【日本国有鉄道】の歴史に詳しく、自分なりに鉄道の年表サイトなども運営しております。
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