ビーイングブームは、1990年代に日本で発生した、ビーイング所属アーティストの楽曲がチャートの上位を独占した社会現象

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30代前半は小室ブーム世代、40代前半はバンドブーム世代。
では30代後半は?そう、ビーイング系ブーム世代です。

そこで今回は、小中学生の頃にビーイング系に夢中だった30代後半女性に当てはまるであろう「あるある」をご紹介します。

作詞作曲者を全部言えた

ビーイングという事務所には、所属しているバンドやアーティストどうしで楽曲を提供し合うという独自の文化がありました。

ビーイングはクリエイター集団という特徴を最大限生かし、バンドやアーティスト自身の自作にはあまりこだわらずに、グループ所属の人気ミュージシャンやクリエイターの作品をほぼ独占的に採用して分業していた点にある。

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そこでファンの間ではどの曲を誰がクリエイトしたかが常々話題になっており、「ビーイング愛」を計る尺度として「一連のヒット曲の作詞作曲者が全部言えるか」というものが採用されていました。

「WANDSの『もっと強く抱きしめたなら』の作曲は、ZYYGの栗林誠一郎!」、「MANISHの『眠らない街に流されて』の作詞は大黒摩季!」などとドヤ顔で言い放っていたものです。

ビーイングは好きだったけれどそんなことはすっかり忘れていたな、というあなた、DEENの『このまま君だけを奪い去りたい』の作詞は誰ですか? FIELD OF VIEWの『突然』の作詞は?……ほら、答えられるでしょ。

WANDSのファンクラブに入っていた

今やアーティストやアイドルのファンクラブに入る主な理由と言えば、コンサートのチケットを有利な条件で獲得すること。

しかし、ビーイング系のアーティストの場合ファンクラブに入ってもそのようなまず恩恵は受けられませんでした。なぜなら、そもそもほとんどコンサートをしないからです。

それならなんのためにファンクラブに入るのか?

WANDSは非常にテレビ出演が少ないのだ。

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そう、メディア露出が極端に少ない彼らの貴重な素顔のようすを、会報からうかがい知るためです。硬派なジャケ写などからは想像もつかない笑顔の写真やゆるいインタビューなどが掲載されていました。

年間数千円の会費は小中学生にとっては大金でしたが、そんなWANDSの素顔を知るためだとプライドをかなぐり捨てて、親に土下座して出資してもらったものです。

「NO」を録画していた

そんなメディアへの登場がたいへん少なかったビーイング系アーティストですが、ほんの少しだけテレビの画面で彼らの姿を見ることができる番組がありました。それが「NO」です。

NO.(エヌオー)は、テレビ朝日系列で1993年4月から1999年9月24日まで、毎週月曜日~金曜日に放送されていた音楽番組・ミニ番組である。

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音楽制作会社のビーイングに所属する、ビーイング系アーティストの新譜情報などを伝える、ミニ音楽番組。

ビーイング系アーティストのプロモーションビデオが毎日約1分半放映され、普段、あまり見ることが出来ないアーティストのレコーディング作業や、当番組でしか視聴出来ない別バージョンのプロモーションビデオも放映されていた。

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わずか2分程度の番組を、120分のVHSビデオテープに毎日撮りためていました。

もちろん録画予約機能などないので、はじまる数分前にビデオテープを入れてスタンバイ、始まったと同時に「ガチャン」と録画スタート、終わったらCMが入ってしまう前に「ガチャン」と終了です。

これを週に5日行い続けていましたので、気付いた頃にはそれはもう絶妙なタイミングで録画開始・終了できる感覚を会得していました。

50本近く録画したテープを、親にたった1本の2時間ドラマであっさり上書きされたときには本気で怒り号泣しました。

ビーイング系を愛してやまなかった現在30代後半の女性の皆さん、いかがでしょうか?

たまにはカラオケボックスにこもって「ビーイング系縛り」であの頃の思い出に浸りながら熱唱するのも良いかもしれません。

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佐賀県佐賀市で、ことばコーディネーターとして個人事務所nib.を運営。ことばに関するワークショップやレッスン、ライティング(文章執筆)、絵本の読み聞かせなど幅広く展開しています。

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